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「風に立つライオン」 [CINEMA]

「風に立つライオン」観てきました(ネタバレあり)

 さだまさしがこの曲を発表したのは1987年、いつ、どこで僕がはじめて聴いたのかは覚えていないが、荘厳な雰囲気の曲と、物語のような詩に感動したことを覚えている。この歌が伝えるメッセージは多くの人に感動を与え、この歌に触発されて医師を志した人、アフリカにわたり現地で暮らすことを選択した人などが数多くいることは最近知った。「たったひとつの歌曲が、このように沢山の人々の人生に働きかけて少しずつその人生を変えていった例を僕は他に知らない」と、さだまさしは書いている(映画のパンフレットより)。

 映画「風に立つライオン」(三池崇史監督)の主役の医師役を務めた大沢たかおも、「この曲の世界観と歌詞に込められた主人公の思いに共鳴した」一人で、彼の場合は、さだまさしに映画化を前提にした小説化を働きかけ、数年かけてその思いは映画作品として実を結んだ。

 さだまさしが小説化した原作を読んでいないので、ストーリー展開はまったく知らずに観ていたが、100万羽のフラミンゴも、キリマンジャロの雪も出てこないものの、歌詞の世界が見事に映像化されていると思った。大沢たかお演じる医師は、過酷な環境の中でも、しなやかな強さとやさしさを持つ「風に向かって立つライオン」としてこの先ずっと活躍していくものと信じていただけに、最後に彼をおそった悲劇はショッキングだった。映画の最後に流れる主題歌「風に立つライオン」は、これまでに観たどの映画のエンディングテーマや主題歌よりも、重く、深く、心を揺さぶる曲になった。

(3月16日 ららぽーと横浜TOHOシネマズ)


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開店から1年 [Diary]

 2013年3月4日は「陽のあたる道」が生まれて1年目にあたる日でした。ちょうどこの日はお店が定休日だったので、お店の常連さんの自転車タクシー(シクロポリタン)に乗りに行ってきました。

 赤レンガ倉庫近くの万国橋をスタートして県庁前や馬車道などを通過して帰ってくる観光ガイド付きプチ周遊コース。気温は10度ぐらいでしたが、風も弱くそんなに寒さも感じず快適な小さな旅でした。
 

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 自転車タクシーのドライバー・利岡憲さんは、陽のあたる道のコーヒーを気に入ってくれてたびたび来店してくれていました。横浜駅近くの自宅を、「自宅開放型漫画図書室 へそまがり」として、誰もが気軽に集まれる場所として開放しています。http://toshiokake.exblog.jp/19789600/
 
 
 もし利岡さんとお店で知りあっていなかったら、地元の横浜で自転車タクシーに乗るなんてありえなかったでしょうね。今回利用してみて、初めて知ることもあったりして勉強になりました。
以下、利岡さんのブログより転載です。 
【【横浜自転車タクシードライバー 利岡 憲 Ken Toshioka】】

【運行エリア】
みなとみらい、観覧車、赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園、中華街、元町、
横浜駅東口ベイクオーター、桜木町駅、関内駅、石川町駅 など

【運行日時】
平日10時〜17時
3月からは平日+日曜祝日も運行 土曜お休み

【運行プラン・料金】
http://cyclopolitain-yokohama.jp/route/

【乗れる場所】
お電話一本で運行エリア内どこでもお迎えにうかがいます。
お気軽にご連絡ください。

【お迎え依頼・予約・問合せ など】
電話 090-5547-8340 (当日依頼可)
メール ken19780405@docomo.ne.jp (前日依頼まで可)


開店 [Coffee]

こちらのblogは久しぶりです。ご挨拶が遅れました。

3月4日に「自家焙煎珈琲店 陽のあたる道」をOPENしました。(HP⇒http://www.hinoatarumichi.com/

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欠点のない良い豆だけを選別し、芯まで火が通った煎りムラのない新鮮なコーヒーを、ひとりでも多くのみなさまにお届けすることをモットーに、日々精進を重ねていきたいと思います。

また、狭いながらもカフェスペースも設けてあります。美味しいコーヒーを飲みながら、ひとときの語らいを楽しんでいただき、お店を出るときにはみんな笑顔になっている、そんなお店にしていけたらと思います。

私たち夫婦、これまでの人生でお店の仕事は全くしたことがありません。いろいろ行き届かない点も多々あるかと思いますが、どうぞ長い目で見ていただければと思います。

今回お店をはじめるにあたり、実に多くの人に支えられているんだ、ということをあらためて実感しました。また、開店に際しては、たくさんのお祝いを頂戴いたしました。店内、店外ともにお花で溢れています。本当にありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

そんな中、今日お店を訪ねてくれた音楽仲間のD35さんにいただいたノートにはびっくりしました。

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このblogを読んでいる大部分の方には、何者のサイン?なんて思われるかもしれませんが、”ナターシャな”人たちはきっと驚かれるに違いありません。 

札幌まで行って、こんなサインを取ってきてくれるなんて・・・・・・D35さん、ありがとう!


中米コーヒー産地を巡る旅 その3  エルサルバドル編 [Coffee]

中米コーヒー産地を巡る旅 その1  グアテマラ編
http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05
中米コーヒー産地を巡る旅 その2  パナマ編
http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2012-02-09
よりつづく

1月23日(9日目)
いよいよ旅も終盤、ここまですばらしい天気に恵まれ、トラブルもなく順調に推移してきました。しかし、旅の神様はそれではつまらないだろうと思ったのか、パナマからエルサルバドルに向かうべく航空会社のカウンターでチェックインしようとしたところオーバーブッキングが発覚。見送りに来てくれていた通訳のKanagyさんが、空港職員とやりとりをしてくれたのは幸いでした。搭乗券には座席番号が記されていないが、出国手続きして搭乗ゲートに行けば席があるかどうか判明するとのこと。あわてて搭乗ゲートに駆けつけなんとか無事に座席が確保できました。これまで私の持参したiPhoneはwifi経由でツイッターに使っていただけでしたが、ここで初めて電話として、出国ゲートの外にいるKanagyさんとの連絡に使われることになりました。

ひとまず無事にパナマを飛び立ち、エルサルバドルまで約2時間、昼過ぎに到着しました。しかし今度は一名の機内預けの荷物が出てこない。通訳は同行していないので係員とたどたどしい英語を使ってのやりとり。相手は、もし見つかったら連絡するから空港まで取りに来いとのこと。ここで再びiPhoneの登場。空港まで迎えにきてくれることになっている日本人のO原さんに電話をかけて代わりに交渉していただき、荷物を宿泊先のホテルまで届けてもらうようにできました。(行方不明になった荷物、無事見つかり翌日ホテルに届けられていました。)
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(エルサルバドルのコマラパ国際空港)

そんなハプニングもあって空港を出るのが大幅に遅れてしまった我々は、O原さんが昼食として用意しておいてくれた「おにぎり」を車の中でほおばりながら、この日の訪問先であるラス・ラハス農園に大急ぎで向かいました。訪問した農園は有機肥料を使ってコーヒーを育てている農園でした。あいにく収穫も終わっており精製も行われていませんでしたが、ピックアップトラックの荷台に乗って農園を一周しました。途中には雄大な湖の眺めも。
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1月24日(10日目)
この日はハードな日程でしたが、まさに旅のクライマックスとも言える一日でもありました。今回の旅で6箇所目であり最後の農園であるエルカルメン農園の訪問でしたが、コーヒーの実を農民が摘み取りしているところに遭遇できたのはここが初めてでした。
朝、サンサルバドルのホテルから1時間ぐらいの所にあるエルカルメン農園の精製工場および苗木の生育場所を見学。ここのウェットミルで特徴的だったのは、果肉を除去した後にヌルヌル(ミューシレージ)を取るのに発酵槽につけずに機械的にとってしまうところ。これで発酵槽につけておかなければならない時間と水の節約につながるとのこと。
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最近は、このミューシレージ部分を意識的に残してコーヒー豆に甘みを付加するやりかたも行われていて、ハニーという呼び名で呼ばれています。
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苗木を育てている場所を見学してからいよいよ農園へ。山道を30分ほどガタンゴトン揺られながら着いた場所はオーナーの山荘で、素晴らしい見晴らしの場所。天気も最高。ここで昼食兼用の軽食。
さらに農園内の山道を上っていくとたくさんの農民に出会いました。11月から2月までは学校も休みということで、家族でコーヒーチェリーの摘み取りに参加している姿も見られました。実はもっと苛酷な労働環境を想像していたのですが、みなさん明るく働いている印象を受けました。
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(左:赤い実だけを摘み取る熟練の技) (右:この中の1名は日本人です)

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(収穫した袋を計量、これに基づいて賃金が支払われる)

このあと再び山荘で一服し記念撮影。
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ガタゴト揺られながら山道を下りてから、サンサルバドルの市内に戻りました。グアテマラにも拠点のあったUNEXのオフィスでエルカルメン農園のオーナーであるクリスティアーニさんと田口先生の会談に同席させていただきました。
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エルサルバドルでは1979年から92年にかけて政府軍とゲリラ勢力による激しい内戦が繰り広げられ、7万5千人の死者を出したそうです。日本の四国ほどの面積、人口620万人位(2010年)の国で、これだけの死者数! いかにこの内戦が激しかったか想像に難くありません。この内戦時の最後の大統領を務めたのがクリスティアーニ氏だったのです。貫禄充分の方で、大統領に就任したときは40歳の若さだったそうです。現在は野党の党首として、丁度このときは選挙戦の真っ最中だったにもかかわらず、カッピングにもおつきあいくださいました。
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エルサルバドルで私たちをアテンドしてくださったのは、こちらに住み40年になるO原さん。中米のコーヒー事情に精通し、日本との橋渡しに重要な役割を果たされている方でした。2日間の短い滞在の中に内容の濃いスケジュールを組んでくださいました。今回の旅で、現地で活躍されている何人かの日本人を知ることができたことも印象深いことでした。
 
1月25日(11日目)~27日(13日目)
エルサルバドルでの日程を終え、あとは帰るだけ。25日はヒューストンで一泊、26日の飛行機で日本へ向かう足かけ3日がかりの帰国の旅。ヒューストンからの14時間以上のフライトはさすがに長かったですが、心は充足感に満たされていました。

この旅で得たものはあまりにも多く、そのすべてを自分の言葉で表現するにはまだまだ知識・経験とも不足していますが、この3月にお店をオープンしようとするタイミングでこのような貴重な経験ができたことは、自分にとって大きな力になると確信しています。田口先生はじめ一緒に旅した仲間に心からの感謝を!
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(迎えのカフェバッハN川さん(左)と最後の記念撮影@成田)

さてこれから、いよいよ自分自身の新しい旅に出発します。

自家焙煎珈琲店 陽のあたる道 
2012年3月4日OPEN (ただいま旅支度中)
Home Page: http://www.hinoatarumichi.com/


中米コーヒー産地を巡る旅 その2  パナマ編 [Coffee]

中米コーヒー産地を巡る旅 その1 グアテマラ編よりつづく
http://inuwan.blog.so-net.ne.jp/2012-02-05

1月20日(6日目)
昨日につづきこの日も朝4時起きです。今日はグアテマラからパナマに移動します。みんな疲れはあると思いますが、元気に旅を続けています。一番元気なのは田口先生だとは全員一致した意見。午前7時前にはパナマに向かう飛行機に乗り込みました。約2時間でパナマシティ着。今日のうちに国内線でボケテに移動するので、2泊分の荷物を小さめのバッグに詰め、大きなトランクを市内のホテルに預け昼食に。今回通訳としてグアテマラから同行していただいているKanagyさんはパナマ在住の方。昼食場所に奥様(日本人)と高校生の息子さんも来られて一緒にランチを楽しみました。
昼食後、パナマ運河を見渡せる小高い丘に案内してくれました。ここはあまり知られていスポットだそうです。ここから金融センターとしてめざましい発展を遂げるパナマの高層ビル群と、パナマ運河をはじめてこの目で見ることができました。
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        (中央に見えるのが運河です)

上の写真手前に見える飛行場から国内線で約1時間でダビドへ。この空港で出迎えてくれたのは明日お邪魔するドンパチ農園のフランシスコ・セラシンさん。ここからさらに1時間近く車で移動し、ボケテという町にあるホテルに着きました。ちょうどボケテではフラワーフェスティバルが開催されている最中、たくさんの観光客が訪れているようで、結構遅くまで外がにぎやかでした。

1月21日(7日目)
朝、フランシスコさんに迎えに来ていただき、ドンパチ農園の見学に向かいました。農園の入口でフランシスコさんのお父さんが出迎えてくれました。スペシャルティコーヒーの普及とともにゲイシャという品種が一躍脚光を浴びていますが、彼こそが1963年にパナマにゲイシャの苗木をもちこんだ「パナマ・ゲイシャの父」と呼ばれる方なのです。田口先生と同い年でもあり、お二人が堅い信頼関係で結ばれていることがよくわかる再会シーンでした。
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(フランシスコ・セラシンさん(右)とお父さん)

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(左:再会を喜ぶ田口先生とセラシン父子) (右:お父さんにドンパチ農園の歴史について熱く語っていただきました)

こちらの農園ではじめてゲイシャの実がなっている木を見ました。
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こんな立て札まで立てられていました(左)  ゲイシャの木はこんな感じです(右)

昼食後、「ベスト・オブ・パナマ」というコーヒーの審査会が行われた場所でこの農園で収穫された豆のカッピングを行い、そのあとドンパチ農園の精製工場に案内されました。ここでは腰の高さぐらいに張られた通気性のよいシート(アフリカンベッドと呼ばれています)の上で果肉のまま天日乾燥させるナチュラル方式の乾燥も行われていました。
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つぎつぎと興味をひく事象に、農園主や田口先生の解説も加わり、時間はあっと言う間に過ぎて行きます。3時も過ぎたころ、もうひとつの訪問予定であるベルリナ農園をもつルイスさんの経営するカフェに伺い、立派なご自宅のほうで90歳になるというお父さんも加わり、しばし歓談。そのあとベルリナ農園の精製工場と乾燥場所の見学に向かいました。ここまで精製工場もいくつか見学してきましたが、それぞれに特徴があって興味は一層深まっていきます。
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(ベルリナ農園の精製工場)

この日の夜はセラシンさんご一家とディナーを楽しみました。通訳を通しての会話でなく少しでもスペイン語でコミュニケーションできたらなあ、と思ってもあとの祭り。

1月22日(8日目)
午前中は昨日に引き続きルイスさんの案内でベルリナ農園の見学。山の斜面一面にコーヒーが植えられています。
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急斜面の山道を4輪駆動に揺られながら下りていきながら、こんな斜面にコーヒーの木を植え、収穫するという作業は並大抵の苦労ではないだろうなと思っていました。ルイスさんは40年にわたってコーヒー栽培に携わり、実験的なことを試みながら総合的な観点からコーヒーの発展に尽くされています。20年先のことを考えて今仕事をされているという彼女の言葉に、これからコーヒーという事業のほんの一端ではあるけれど携わっていくことになる自分の仕事の意義と価値を再確認させられる思いでした。
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(中央:マリア・ルイスさん)

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ルイスさんのカフェでカッピングの後、フランシスコ・セラシンさんに飛行場まで送ってもらい、13時すぎの飛行機でダビドを後にしました。
パナマ・ボケテの珈琲豆は、これまでの焙煎練習で何度も焙煎した豆で、好みの豆のひとつでしたが、今回、はじめて現地を訪れたことで一層の愛着のようなものを感じ、今後の焙煎においても目に見えない力を得たような気がします。

一行は再びパナマシティに戻り、パナマ市内を少し見学の後、荷物を預けていたホテルに戻ってきました。

中米コーヒー産地を巡る旅 その2  パナマ編 おわり ⇒ To Be Continued


中米コーヒー産地を巡る旅 その1 グアテマラ編 [Coffee]

2012年1月15日から27日まで13日間の日程で、中米3ヵ国を回ってきました。現在私がコーヒー豆の焙煎を勉強している、南千住の山谷地区で40年つづくカフェ・バッハの創業者・田口護先生に率いられた自家焙煎珈琲店開業予定の5人。見るもの聞くものすべてが興味深く、また勉強になる、とても実り多い旅でした。
今回訪問したのはグアテマラ、パナマ、エルサルバドルの3カ国です。
以下は旅の備忘録です。

その1、「グアテマラ編」

1月15日(1日目) 夕刻、成田を出発した我々はアメリカテキサス州ヒューストンまで11時間のフライトの後、6時間ぐらいのインターバルの間に入国・出国の手続きを行い、約3時間でグアテマラシティに到着しました。ホテルに着いたのは現地時間で午後11時近く、飛行機の中でもあまり寝られなかったのでベッドに入ったらぐっすり眠れると思いきや、夜中に目がさえてしまったのは時差の影響だったのか。あるいはいよいよスタートした旅の興奮だったのでしょうか。

グアテマラはメキシコの南に位置する日本の約3分の1程度の大きさの国です。古代マヤ文明の中心であったこの国の歴史ははるか紀元前までさかのぼり、その全貌が解き明かされるのにはまだ相当な年月がかかるだろうと言われています。

1月16日(2日目) グアテマラの9万のコーヒー栽培者を代表する機関であるグアテマラ国立コーヒー協会(アナカフェ:Anacafe)での研修を行いました。グアテマラのコーヒー生産事情や栽培されるコーヒーの特徴などのプレゼン、コーヒー抽出方法などの実演と実習、館内見学などを行いました。

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研修終了後、この日の宿泊予定地であるアンティグア(Antigua)に移動。アナカフェのマイクロバスで約1時間の道のり、この車中ではさすがに爆睡でした。アンティグアは石畳の道がつづく中世の都市を思わせる街で世界文化遺産に登録されています。昔は首都として栄えたものの1773年の大地震で被害を受け、首都が現在のグアテマラシティに移されました。地震で崩壊し未だ修復されていない教会などの建造物も見られました。
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宿泊したホテルは修道院跡を活かして造られたホテルで、風情たっぷりの趣でした。部屋には薪をくべる暖炉があり、飾りでなく実際に火を焚いてみると柔らかな暖かさが旅の疲れを癒してくれました。 
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1月17日(3日目)
 いよいよコーヒー農園見学の開始です。アンティグアには大きな3つの火山があり、このうち「アグア火山(水の火山)」と「フエゴ火山(火の火山)」にはさまれた位置にあるサンミゲル農園を訪問しました。ここでは、病気に強い苗を育てる工夫としてロブスタ種の根にアラビカ種の苗を接ぎ木して育てています。私たちも実際にこの接ぎ木を体験することができましたが、なかなかむずかしい。こうして接ぎ木された苗が並んだところは壮観です。
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収穫されたコーヒーの実の精製場所を見学のあと、コーヒーの実がなっている農園でコーヒーの実の収穫をほんの少しですが体験しました。コーヒー農園を訪れるのが初めての私たちにとってはすべてが初体験ですが、コーヒーの実の摘み取りなどは日本ではまず体験できないこと。コーヒーの産地に来たんだという実感もひとしおです。
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コーヒーの赤い実は齧ってみると甘かったです。でもコーヒーで使われるのは種の部分で果肉ははぎとられてしまうのですが、この農園ではこれを堆肥にして肥料として利用しています。
ランチをいただいた後、農園主も交えて記念写真。富士山を思わせる火山を正面に臨むすばらしいロケーションにあるコーヒー農園ですが、これでゴルフクラブを持っていたらゴルフコンペの記念写真ですね。
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1月18日(4日目)
 朝一番でアグア火山とアンティグアの街並みを一望のもとに見渡せる「十字架の丘」に寄り、この小高い丘からの風景を楽しみました。
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そのあとラ・アソテアのコーヒー博物館と精製所を見学、前日は見られなかった果肉除去の過程も少しだけ見ることができました。
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昼食後、アンティグアを後にして再びグアテマラシティに向かいます。市内に戻る途中、グアテマラで有数の輸出業者であるUNEXの精製工場(ドライミル)の見学と、カッピングを行いました。
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終了後UNEXのオフィスを訪問、日本の商社から出向してこの会社でコーヒービジネスに携わっているSさんのプレゼンを聴き、夜は一緒に日本料理屋で会食。茶碗蒸しや、天ぷらなどがなんだかなつかしく思える夕食でした。

1月19日(5日目) そろそろ疲れが出るころですが、なんとこの朝は4時起き、ホテルで朝食BOXを用意してもらい国内線の空港に向かいました。今日はまる一日ティカル遺跡への観光です。グアテマラ市内から北へ飛行機で1時間さらに車で1時間のところにあるティカル遺跡は「マヤ最大の神殿都市遺跡として知られ、20mにも30mにも茂るジャングルの樹木のさらに上に高くそびえる神殿群は、マヤの偉大さや神秘性をいやがおうにも感じさせる」(「地球の歩き方」より)。この日は現地に住む日本人のガイドさんに案内していただきました。わかりやすい説明のおかげで、マヤ文明の一端に触れることができました。最盛期には人口が数万人にも達したというティカルも、10世紀には急激に衰退してしまったそうです。その理由として諸説あるそうで確定された説はないそうですが、ガイドさん曰く農業飢饉説が有力だろうとのこと。樹海に埋もれてしまった遺跡が偶然発見されるのは17世紀末。いまだに土の中に埋もれた遺跡が多く、全貌は想像してつくられた模型でしか見ることができません。それではティカル遺跡で撮った写真の中から何枚かご覧ください。
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中米コーヒー産地を巡る旅 その1 グアテマラ編 おわり ⇒ To Be Continued


新年のご挨拶 [Diary]

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 あけましておめでとうございます。2012年の年賀状です。
 
 

 2011年に起こった地震、津波、原発事故により、不安や苦しみの中での生活を余儀なくされている多くの人々に一日も早く幸せが戻りますように。

 そして私事ですが、今年3月に自家焙煎珈琲店をオープンすることになりました。一人でも多くの人に美味しい珈琲をご提供できるよう精進していきます。

 今年もよろしくお願いいたします。
 


ボランティアバス_宮城61便 (Dec.23-25,2011) [Diary]

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 神奈川災害ボランティアネットワーク(KSVN)の今年最後のボラバスで宮城県女川町に行ってきた。23日夜9時横浜出発、25日朝5時帰着の車中2泊、現地1泊の旅。僕とって今回で6度目のボラバスだが、今回はクリスマスイブに開催される運動会のお手伝いということで、はじめてのガテン系でないボランティア。5000人の町民の6割が仮設住宅で暮らすという女川町の小中学生と親御さん、お年寄りが、10月まで避難所として使われていたという体育館にたくさん集まり盛大なイベントだった。(上の写真は、サンタのスタッフ衣装をまとった神奈川チーム。KSVNホームページより)

  
 被災地では震災で運動会などの地域行事が中止されたことから、サッカーの松井大輔選手が中心となって運動会復活プロジェクトを発足、多くの団体や企業の支援を得て開催された運動会だった。松井選手の他にも、駒野、槙野、伊野波、安田ら海外やJリーグで活躍する選手に加え、棒高跳びの沢野大地選手も参加、子供たちは大喜びだった。その日の石巻日日新聞にさっそく記事になっていた。(石巻日日新聞⇒http://www.hibishinbun.com/
 
 
 

 神奈川から参加したボラバスチームは、体力測定班と、炊き出しのお手伝いの班に分かれて活動。参加者にカレー、豚汁、お汁粉などを運ぶ炊き出し班に加わったが、昼食時はてんてこまいの忙しさで、供給が追いつかなくなるほどだった。しかし、ボランティアに参加する人たちの知恵とチームワークにはいつも感心させられる。今回も、運ぶトレーが少ないとみるや、ダンボールの箱を利用して俄かトレーをいくつも作りだし、これがデリバリーに大いに役立った。
 我々ボランティアは体育館での競技や、サッカーのミニゲームなどを観戦することはできなかったが、子供たちの笑顔と元気な姿にたくさん接し、はじめて、人と触れ合うことができた貴重なボランティア経験となった。

 
 午後4時半運動会の後片付けをすませ、現地を出発したボラバスは、石巻市内にある「がんばろう!石巻」の看板の前に停車して全員で黙祷を捧げた。

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 行き帰りに通過した石巻市内や女川町の海沿いの道いたるところに地震と津波の爪あとがくっきり残っていた。震災から9ヵ月経過しながらも取り残されたようになっている場所を見ながら、復興にはまだまだ長い時間がかかることを実感した。これからも何らかの形で復興のためのお手伝いに関わっていきたいと思います。
 ※神奈川災害ボランティアネットワークのHP⇒http://ksvn.jp/
   
  

『大津波のあとに』『槌音』 [CINEMA]

 渋谷アップリンクXで上映されている映画『大津波のあとに』(監督:森元修一/74分)、『槌音』(監督:大久保愉伊/23分)は、11月19日から1週間の上映予定だったが、連日満員の大盛況で上映期間が12月2日まで1週間延長された。僕が観に行った11月21日(月)も入場できずに帰る人が何人もいた。
 10月下旬神奈川災害ボランティアネットワークのボランティアバスで一緒に岩手に行ってきた仲間たちとTwitterやfacebookを通じて映画を観に行く話が決まり、当日は4人での鑑賞会となった。4人揃って観ることができたのは一人の方が朝のうちに映画館に足を運び整理券をゲットしていてくれたからなのだ。

映画の紹介は『大津波のあとに』『槌音』公式サイト
http://fartheron.soragoto.net/index.htmlより引用させていただきます。
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2人の映像作家が被災地で撮影した2本の作品には、震災によってもたらされた「3月の衝撃」が封じ込められています。

『槌音』の大久保愉伊監督は故郷の岩手県大槌町が被災し、家族も大きな被害を受けました。東京に持ってきていたことで津波に流されることを免れた震災前の貴重な映像も使い、鎮魂の映像詩を編み上げました。

『大津波のあとに』の森元修一監督は宮城県の仙台、東松島を経由して知人のいる石巻に入り、街とそこに生きる人々の姿を静かな映像の中に刻みつけています。

日本のみならず、世界中に衝撃を与えた東日本大震災。時間の経過による風化・忘却に抗するため、この2本の作品に込められた被災地の記憶、被災者の声をお届けしたいと思います。
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 震災直後盛んにテレビで流された津波の俯瞰映像や、ワイドショーレポーターのありきたりのインタビューや、復興に向かって頑張る人の姿はない。震災直後の現場に入って、迷い、とまどいながらも荒れ野と化した風景とそこに居る人を、何の脚色もなく記録した映画である。
 
 

 僕が震災から数ヵ月経って被災地にボランティアとして行ったときは、瓦礫の山がいくつもでき、撤去された跡は更地のようになっていたが、映画で見る震災2週間後の光景にはあらためて衝撃を受ける。自分の目と同じ高さで撮られるカメラの目線が自分で見ているかのように感じるからだろうか。

 今この時点で、あの時の「衝撃」を再び自分の胸に甦らせることは、とても大事なことだと強く思う。

 
 映画終了後には、2人の監督とゲストのトークショーがあり、実際に撮影した生身の本人の話を聞けたのもよかった。また、制作日誌の掲載されたパンフレットも購入、熟読してしまった。映画を観る方にはぜひ一読をお勧めしたい。
 お2人の監督にはそれぞれの視点で、この場所をずっと撮り続けてほしいと思った。
 


中川五郎ライブ@二俣川SOMEDAY (Nov.20,2011) [Music]

 このあいだの日曜日(11月20日)は、横浜二俣川駅近くにあるライブ&バーSOMEDAYで中川五郎さんのライブがあり、「どんべえとその七味」で前座をつとめさせていただきました。
 きっかけは、7月にこのお店で友人が企画したイベントに出演して「どん七」の持ち歌を唄ったところ、マスターの守之介さんから「11月20日に中川五郎さんのライブをやるけど出ませんか」とのお話をいただいたもの。その日はちょうど父の一周忌の法事をやることが決まっていたので一瞬迷ったのですが、法事は昼間でライブは夜、しかもこんなチャンスはこの先ないだろうと思って、出演させていただくことになったのでした。

 前日の台風のような風雨が嘘のように晴れあがった日曜日、一周忌の法要も滞りなく済み、お昼の会食では極力お酒を控え、自宅に戻ってから楽器を車に積み込み二俣川に向かいました。この日は第3日曜日で、相鉄線二俣川駅コンコースでは「ハートフルコンサート」と名付けられたフリーコンサートが開催されていました。このコンサートは二俣川駅とSOMEDAYが共催して続けられている催しで、今回で62回目になります。中川五郎さんも4組中最後に出演、僕が着いたときはちょうどラストの曲『ビッグ・スカイ』を唄っているときでした。どんな場所でも全力投球は五郎さんの真骨頂、客席を大いに盛り上げてフィナーレを迎えました。

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 夜の開演まで「どん七」はカラオケBOXで、「その七味」のこの日の増量メンバーであるじゅんこさんと練習。一年ぶりに合わせる曲もあったりして必死でした。またたく間にライブの開演時刻7時30分に。トップバッターで登場です。

 演奏曲目は、『八幡の子守唄』、『雪』、『銀色のランナー』、『どこにいればいいんだろう』、『おいで一緒に』、『太陽をとれ』、『花はどこへ行った』、なんとアンコールまでいただき『しあわせ運べるように』を唄い終了しました。

 中川五郎さんもカウンターでワインをグビグビやりながら我々の演奏にじっと耳を傾けてくれていました。しかも、同じくカウンターで聴いていてくださったのが、この日五郎さんのサポートを務めた柳田ヒロさんと伊東正美さんだったのです。お二人の顔を知らなかったもので、あとからお名前を知りました。こんな素人の演奏をずっと聴かせていたなんて、今思い起こしても冷や汗ものです。

 次に、キューピーさんという、普段はパンクロックバンドのVocalをしている方がオリジナルのブルースなどをソロで披露、自分の世界を持っているしギターも唄も味がある。CDも出しているし、ライブも11月だけで10本とか言っておられました。

 9時半を過ぎてからようやく待ちに待った五郎さんの登場です。中川五郎さん目あてにSOMEDAYに来られた方にはホント待ち遠しかったでしょうね。五郎さんてっきり一人だけで演奏するのかと思っていたら、先に書いた柳田ヒロさんがピアノを、伊東正美さんがギターとマンドリンを弾いて、こんな小さなライブハウスでなんとも贅沢なセッションが実現。五郎さんの唄と演奏にも一段と力がこもっていました。MCでも唄の背景や自分の想いを丁寧に説明、唄にこめられたメッセージが明確に伝わってくる。本当のフォークシンガーだとあらためて感じました。
 中川五郎さんのセットリスです。
 『主婦のブルース 2011』『恋人よベッドのそばにおいで』『ミスター・ボージャングルス』『For a Life』『祝婚歌』『腰まで泥まみれ』

 本当はもっと聴きたかったし、ご本人も曲を用意されていたんですが、11時以降は音が出せないということでここまででした。 前座のバンドがよけいでしたね^^; でも、同じライブで唄わせていただけたことは、心の糧としてずっと残りつづけることと思います。中川五郎さん、ありがとうございました! また、今回このような機会を与えていただいたSOMEDAYのマスター守之介さん、ありがとうございました! そして、おいでいただいた皆さん、ありがとうございました!

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